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10年の歳月がくれたもの・9

in the weeds

2015年2月、私は香港にある、ART PROJECTS GALLERYというギャラリーで個展をさせていただけることになりました。

海外で展示ができるなんて考えたこともなかったので、初めてこの知らせを聞いたときに本当に私が?と、すごく驚きました。

いつもお世話になっているShonandai MY Galleryさんのウェブサイトを見て、このお話を下さったということでした。

ギャラリーのオーナーご夫妻は、常々「海外に日本の作家を紹介したい」という考えを持って画廊の運営をされており、これまで何度か私の作品も海外のアートフェアに出品して下さっていたので、このお話をお二人ともとても喜んで下さいました。

 

当時私はこれまで何度か描いていた、人の立ち入りが出来なくなったことにより、人とは逆に生き生きとそこに生きているように見えた、実家の庭の植物たちの生命エネルギーについて、そのエネルギー自体に焦点を当てた作品を描いてみたいという想いがありました。

そのような想いを抱きながら描いたものが「in the weeds」という油彩作品です。

この作品はそれまでの表現方法とは少し違う描き方をしていて、自分なりに新しい方法に挑戦した一枚でもあります。

目には見えないけれど、静かに力強く、確かにそこに存在している生命力のかたまりを描くために、それぞれの植物を細密に描くのではなく、太い筆を使い、腕の大きなストロークを利用してその形を作っていきました。

小さな家のシルエットを中心に、その周りをぐるぐるとそのエネルギーが取り囲んでいるという、私が実際にそこで感じたものを可視化する試みでもありました。

そのような過程を経て描いていったので、いつもより抽象的な作品に仕上がったと思います。

 

個展のためにこの他にもいくつか新作を描き、個展の初日を迎えることになりました。

 

瞬間的日記

オープニングレセプションのために私は現地へ向かいました。

香港へ行くのは初めてのことで、旅行がてら母も一緒に行くことになりましたが、なかなかのハードスケジュールになったこの四日間の滞在は、母にとって大変な旅であったのではと、今振り返ると思います。

ギャラリーは当時、中環という地域にあるPMQという商業施設の中にあり、私たちはホテルに着いてすぐ、地下鉄に乗って最寄り駅へ向かいました。

事前に配送が間に合わなかった小さめの作品を手に、世界一長いといわれるエレベーターに乗ってPMQを目指しました。

事前に調べていた情報によると、PMQは元警察宿舎の建物を利用した、いろいろな小売店やギャラリーなどの小さい店舗が集まった複合文化発信施設ということだったので、どんな場所なのかとても楽しみにしていました。

PMQへ到着すると、レトロな外観の建物に春節をお祝いするキラキラした装飾が飾り付けられていて、「ここで本当に展示ができるんだ」と、改めて実感しました。

ギャラリーはこの中の3階にあり、なんとか自力でここまでたどり着けたことに安堵すると同時に、すごく緊張しながら扉を開けて中に入りました。

すると、奥の部屋からディレクターの女性が笑顔で迎えて下さり、その柔和な雰囲気と日本語で挨拶をして下さったことに、緊張が少し緩んでいきました。

彼女とは直接メールで何度かやり取りをしていて、事前に今回展示する作品のコンセプトについて伝えていましたが、実際に作品を見ながら補足説明をしたり、あらかじめ作っておいた英文のテキストを渡したりしました。

私の個展には「瞬間的日記ーTHE TRANSIENT DIARY」というタイトルがつけられており、ギャラリーの方々が私の作品の伝えたい内容をしっかりとくみ取った上でこのような素敵な名前を付けて下さったことに、とても嬉しく思いました。

 

二日目の夜、予定通りオープニングレセプションが行われました。

様々な方が足を運んで下さり、作品への質問や感想、震災についての話など、いろいろなお話をお客様たちとすることができました。

特に、原発事故のことが「FUKUSHIMA」という地名とともに、このように海外の方に知られていることに、私は驚きました。

やはりそれだけの大きな事故だったということを改めて感じる瞬間でもありました。

私の拙い英語力で言いたいことが伝わっていたとは到底思えませんが、このように直接コミュニケーションをすることが出来たことは、本当に素晴らしい経験をさせていただけたなと思います。

この日、日本から私の友人も見に来てくれていて、オープニングの間も会場に一緒にいてくれていたので、緊張しながらもなんとかレセプションを終えることができました。

仕事もある中、友人達がこんなに遠方まで来てくれたことが本当に嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

三日目に現地メディアの方から取材がありました。

取材があるとは聞いており、勝手に新聞の取材だと思っていたところ、なんとテレビの取材だったのです。

指定された時間にギャラリーへ向かうと、インタビュアーの方と撮影スタッフの方々、そして通訳の方がいらっしゃいました。

母と一緒にどうしよう…と焦りましたが、もう頑張るしかないと思い直し、撮影が始まりました。

インタビュアーの方がいろいろと質問をしてくれ、それを通訳の方を介してお答えしていくという感じで取材は進んでいきました。

何故か母も一緒に撮影されることになり、カメラマンの方のイメージに沿うカットが撮れるまで、何度か撮影が続きました。

この間ずっと緊張しっ放しで、自分ではうまく答えられたのかどうかもよく分からない感じでしたが、なんとか終了することができました。

ホテルに戻ると、母は電池が切れたかのようにベットに倒れこんで、朝までぐっすり眠っていました。

海外で突然テレビの撮影を受けたことに、私と同様すごく緊張して疲れてしまったようでした。

大変でしたが、とても思い出に残る一日でした。

 

そして滞在最終日、ギャラリーへ挨拶に伺った後に空港に向かい、日本に無事帰国することができました。

帰国後に、テレビ番組の編集に必要とのことで、富岡町へ一時帰宅したときの写真を何枚か送ることになりました。

数日後、放送があったようで、その動画がギャラリーの方から送られてきました。

香港のRTHK(香港電台)で放送されている「The Works」というテレビ番組で、美術展を紹介する番組のようでした。

実際にその映像を再生すると、画面に映る自分の姿がなんだか恥ずかしい気持ちもしましたが、非常に丁寧に個展の内容や富岡町のことを紹介していただけていて、とても嬉しく感じました。

私が富岡町の出身であったことや、震災のことを作品のテーマとしていることで、香港のメディアの方に興味を持っていただけたのだと思いますが、震災や原発事故に影響を受けた、私のような一般人のひとつの物語を、現地の方に少しでも知っていただけたらいいなと思いました。

この香港での貴重な経験は、今でも私のとても大切な経験として心の中に残っています。

 

***10へつづく***