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10年の歳月がくれたもの・1

もうすぐ3月11日ですね。

最近様々なメディアで東日本大震災に関連した特集が組まれているのを目にします。

今年は特に10年目ということもあり、個人的に一つの節目になるような感じがします。

この震災は本当に大きな出来事でしたから、多くの方が何かしらのショックを受けたり、価値観が変わるきっかけとなったりしたものだったと思います。

被災地出身の私も、とても一言では言い表せない大きな影響を受けました。

当時感じたことは、10年経った今も私の心の中にずっと残っています。

今思うと、自分にとってこの震災を体験したこと、そしてそれに対して感じた様々な想いに向き合い、作品として描いたことは、私にとって非常に重要なことだったと思います。

そのときはまだ生々しすぎて言葉にするのは憚られるような感情も、時を経て客観的に文章に出来るような気がするので、この機会に当時のことを改めて振り返ってみて、今思うことを記しておこうと思います。

未来の私がこのときのことを忘れないように。

   

震災発生

2011年3月11日。当時私はまだ社会人になりたてで、就職してもうすぐ一年が経とうとしていました。

働きながら絵を描くことも続けており、ちょうどその次の月の4月に大学院の修了時に声を掛けて下さったギャラリーで初めての個展を開催する予定にもなっていて、それに向けて作品を描いているときでもありました。

その日私はいつも通り会社に出社し、職場の先輩と備品を買い出しに出掛けた先で震災に遭いました。

お店の棚から商品が崩れ落ち、非常扉がバタンバタンと音を立てて開閉していました。

いつもとは明らかに違う揺れ方とその時間の長さに、これは大きな地震が起きたとすぐに思いました。

職場に戻ってから震源地が東北だったということを知り、いっきに不安な気持ちに襲われたのをよく覚えています。

そのときはまだメールが送れたため、両親に連絡を取ったところ、すぐ返信が届き、どうやら無事な様子だったので少し安心できました。

その日の夜、都内の電車は全てストップしていた為、同じ方面に住んでいる職場の方々と一緒に車に乗り帰ることになりました。

道路は同じような帰宅を目指す車で渋滞していて、歩道には歩いて帰ろうとする歩行者の方々が沢山いるのが見えました。

会社を出発して何時間か経った頃、社内に流れる震災の被害を伝えるラジオニュースからこんな知らせが聞こえてきました。

「福島第一原子力発電所で原子力緊急事態宣言が発令され、周囲の住民に避難指示が出ています」

このニュースを聞いたとき、私は直感的にこれは普通じゃない何か大きな事が起きているんじゃないかと強く思いました。

私が富岡町で暮らしている頃に、原発の施設内で何か起きたというニュースは大抵少し時間が経って事が済んでから発表されることがよくあったからです。

それが現在進行形でこのような発表があるということは、只事ではない何かが起きていると感じました。

 

私の故郷、福島県双葉郡富岡町には東京電力福島第二原子力発電所があり、福島第一原子力発電所はお隣の大熊町と双葉町にまたがって建っています。

子どもの頃から原発の存在は身近なもので、町内には原子力発電の仕組みを伝える施設があったり、遠足で原発の見学に行ったりすることもありました。

夏祭りにも東電の屋台が出店していて、でんこちゃんの景品をもらうのが楽しみでしたし、祭りの最後の日に行われる花火大会では、いつも一番最後に立派な花火が打ち上げられ、東電がスポンサー企業となっていたと記憶しています。

学校の同級生の親が東電に勤めていることもよくありましたし、中学校卒業時の進路先には、将来東電に就職するための学校である東電学園というのもありました。(今も存在しているのかはわかりませんが。)

そんな感じで、大人になるにつれて自分の住んでいる町の経済的な豊かさを支えているのがこの大企業であることを自然と認識していきました。

学校の授業でチェルノブイリ原発事故のことを知り、それと同じものが自分の住んでいる町にあるということについて怖くなったこともありましたが、まさか本当に事故が起きると思ったことは全くありませんでした。

 

ざわざわとした不安な気持ちを抱えたまま自宅の最寄り駅で降ろしていただき、一人暮らしの家へ帰ってすぐにテレビをつけました。

時刻は日付が変わって深夜1時半を過ぎていました。

ニュースが伝える震災の被害の映像は、さっき社内で聞いたラジオニュースより鮮明に、その惨事がどんなものであるのかリアリティを持って私の目に映りました。

大津波によって全てが流された東北の沿岸部、火の海になっている気仙沼…信じられないような酷い風景が次々と映し出されていました。

あまりにも広範囲の被害に衝撃を受け、いかに大きな地震が起きたのかということを考えながら、まるで映画を見ているような感じでただ茫然とその画面を眺めていました。

そんな中、原発の避難指示の範囲がどんどん広がっていくニュースが映り、日中無事を確認した実家に住む家族のことが心配でたまりませんでした。

実家が第一原発から何キロかなんて考えたこともなかったので、PCで調べたところ10キロ内に位置しているのが分かりました。

たぶん家族にも屋内退避の指示がでている…

既にメールも繋がらなくなっており、現地がどうなっているのか全く分からず、テレビの前でただ刻々と時間だけが過ぎていきました。

 

***2へつづく***